2006年02月06日

難病と戦う女王 スルツカヤ【毎日新聞】

※2006/05/07投稿

毎日新聞 >トリノ冬季五輪2006 > へぇ〜(^▽^*)フィギュア
<6>難病と戦う女王 スルツカヤ


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挑戦的なまなざしで演技するスルツカヤ

 日本の女子選手ばかりに注目が集まりますが、海外勢にも感動を呼ぶ選手がいます。何を置いても知ってほしいのは、イリナ・スルツカヤ選手(ロシア)。ここ2年で出場した11の国際大会のうち10大会で優勝し、五輪金メダル候補の筆頭であることは、誰もが知るところ。しかし、彼女は恵まれた環境どころか、苦しい条件を乗り越え復活した女王だということを、五輪で彼女を見る前に知っておいて下さい。

 五輪開幕の前日、2月9日に27歳を迎えるスルツカヤ選手は、女子フィギュア界ではかなりのベテラン。ここ3大会の五輪金メダルは、16歳のオクサナ・バイウル選手(ウクライナ)、15歳のタラ・リピンスキー選手(アメリカ)、16歳のサラ・ヒューズ選手(アメリカ)と、選手のピークは若年化しています。27歳での金メダルが実現すれば、ソニア・へ二ーの23歳を塗り替える最年長記録です。

 スルツカヤ選手は、女子シングルの選手としては珍しく、現役中の20歳で結婚し、人生が変わりました。02年のソルトレイク五輪で銀メダル、直後の世界選手権で優勝。23歳で、遅咲きの花を咲かせたのです。

 ところが03年2月のグランプリファイナル。観戦に来ていた母親が腎臓病で倒れ入院。世界選手権の出場を辞退し、看病に専念しようとしたところ、今度は自分が体調不良で倒れてしまったのです。

 原因の分からない体のむくみ、ぜん息−−。病院を転々とするうち、心臓の血管が炎症をおこす難病と診断されました。大量の薬漬けからおきる副作用で、歩くことすらできない時も。スケートが心臓に負担を与えるため、リンクにいる限り薬を止められないと分かった時は、スルツカヤは決断しました。「私はリンクを降りて、スケートが好きだと分かった」。命と引き替えに、スケートを選んだのです。

 復帰した05年シーズン、今までの甘さが抜けた、新しいスルツカヤがリンクに降りたちました。心臓病を抱えながら選んだ復帰の曲は、リスト作曲「死の舞踏」。何かを追い求めるような切迫した演技は、フィギュア史に残るプログラムとなりました。

 スルツカヤの演技は、攻撃的です。これでもか、これでもか、と3回転ジャンプを正確に決めていく。そしてビールマンスピンの体勢で後ろ向きに滑る“バックのビールマンスパイラル”など、高得点を狙える技を厳選する、考え抜かれたプログラム構成。順風満帆にスケートを習ってきた選手にはない徹底された緻密さがあります。繊細な攻撃性という逆説的な2つの顔を見せました。

 スルツカヤ自身が好んでいるのは、挑戦的な目でキッと観客を見る姿勢。プログラムの節々に持ってくるこの挑戦的なポーズは、自分の病や険しいスケート人生そのものへの挑戦なのかも知れません。【野口美恵】

 2006年2月6日

 
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